日本の歴史とセサミン

ゴマが日本に入ってきたのは?

ゴマの原産地は、アフリカ東部のサバンナ地帯であるとされており、ナイル川流域では、紀元前3000年の頃には既にゴマの栽培が行われていたようです。そして、メソポタミア、インド、中国を経て、日本へとゴマは入ってきました。日本でゴマの栽培が開始された時期については諸説ありますが、縄文時代の遺跡からゴマの種子が出土したことから、地域によっては縄文時代後期には、栽培が始められたと考えられています。

日本史の中のゴマ

飛鳥時代に定められた法律である「大宝律令」には、成人男性は1人7勺(しゃく:7勺=0.126リットル)のゴマ油を納めることが義務の一つとされました。この当時(700年前後)のゴマは、食用油や燈油のためのゴマ油を搾油するための作物だったと考えられています。

下って、平安時代の法律の細則集「延喜式」にも、宮中の菓子や薬に用いるゴマや燈油のゴマ油に関する記述が見られます。また、正月に食べられていた七種粥(ななくさがゆ)の具材にも、ゴマは米やアワ、ヒエなどと共に選ばれています。

日本史におけるゴマの用途は、採油用、食用、薬用の3通りがありました。かつて油が、植物性の油しか手に入らなかった時代には、ゴマ油は貴重な明かりでした。麻やエゴマといった植物と共に、ゴマは採油用の植物として栽培が行われ、より安価な菜種油などが普及した後も、明治時代初期まではゴマ油の用途の大半は、燈油だったのです。

ゴマ油を使った料理と言えば、中華料理のイメージが強いですが、実は昔の日本料理にも、ゴマ油は用いられていました。米粉や小麦粉に、甘葛(アマヅラ)の汁を加えてこね、ゴマ油で揚げた唐菓子(からがし)というお菓子が、奈良時代・平安時代の頃、嗜好品やお供え物として貴族の生活の中にあったことが、記録に残っています。この唐菓子の形が変わったものが、現在のせんべいであるとも言われています。また、ゴマ油の搾油後に残った絞りかすからは、ゴマ餅が作られていました。

現在もよく食べられているゴマ豆腐は、黄檗宗の精進料理として、江戸時代に中国から伝わったのが始まりであるとされています。

幕府や各藩によってゴマの栽培が奨励され、食材としてゴマが全国に幅広く普及していた江戸時代には、「ゴマをする」「ごまかす」といった言葉も生まれました。幕末までゴマは、完全に国内で自給していましたが、明治以降は次第に外国からの輸入が増えることになりました。

昭和初期には、台湾からのゴマ供給が不足したことにより、ゴマ不足が起きたこともあります。その際には、胡桃・カボチャの種・桃の種・梅の種などを割って、ゴマの代用品とすることを読売新聞が提案しています(1941年6月6日)。また、この3年後には、狭い空地でも育つ作物として、ゴマの栽培を推奨しています(1944年6月16日)。戦中には、配給された小麦粉とゴマ、水、塩から作られた「防空煎餅」という携帯食もありました。

戦後、1960年代からゴマの健康商品がメーカーから発売されるようになり、1980年代以降は、ゴマの栄養効果についての研究も進みました。

セサミンの効能は注目されていた?

ゴマは原産地のアフリカからアラビア、インド、中国と伝搬していきましたが、どこの地域においても薬として用いられました。そのことは日本においても変わりません。江戸時代中期に書かれた「本朝食鑑」には、「黒胡麻は腎に作用し、白胡麻は肺に作用する。ともに五臓を潤し、血脈をよくし、腸の調子を整える」とあり、ゴマの血行促進と代謝向上の働きが言及されています。

江戸時代を代表する健康指南書「養生訓」の著者・貝原益軒の「菜譜」には、「朝夕食すべし、身をうるほし、虚を補い気をまし、肌肉を長じ、耳目を明らかにす、中風によし」と、ゴマは気力の充実、健やかな肌のハリ、目や耳の働きを高め、脳血管障害による半身不随・片まひに効果があるので、毎日朝食・夕食で食べるべきであると記されています。

セサミンは抗酸化作用(人体に有害な活性酸素を除去する働き)によって、肌のシワやたるみを改善し、動脈硬化・高血圧を予防することで、脳血管障害のリスクも減らしてくれます。ゴマの成分を科学的に知らないとはいえ、ゴマの代表的な薬効成分であるセサミンの効果については、江戸時代の人も認識していたと言えるでしょう。

セサミンは日本で発見された!

先ほど見たように、セサミン由来のゴマの効能については、江戸時代にも認識されていましたが、実はセサミン自体の発見も、日本人の手によってなされたのです。

1983年に始まった、サントリーと京都大学の共同研究「夢の油プロジェクト」における一つの実験が、セサミンの発見につながりました。

アラキドン酸(人体の必須脂肪酸、記憶と関わりがあるとされる健康成分)を作り出すアルピナ菌という微生物を、様々な油の中に入れ、アラキドン酸を産生させる実験を行っていた際に、ゴマ油の中に入れた時だけ、アラキドン酸は全く増えませんでした。このことがきっかけで、ゴマ油に含まれるセサミンが発見されたのです。ちなみに、アラキドン酸が全く増えなかった原因は、アラキドン酸の元となるDGLAという物質をアラキドン酸に変換する酵素とセサミンが結びついて、反応を防ぐからです。このセサミンの発見は、1985年のことでした。

そして翌1986年から、サントリーと九州大学の共同研究が始動し、1993年にはゴマ抽出物カプセル「セサミン」がサントリーから発売されました。これを皮切りに、サントリーを始めとする各メーカーから、セサミン配合の健康食品が多数開発され、現在に至ります。

こうして見てみると、セサミンの効能は「ゴマの効能」として古くから知られていたものの、セサミン自体の発見は1985年と、1920年代から研究が行われていたビタミンC、ビタミンEなどと比べると、発見されてから日が浅い栄養素です。そのため、セサミンには、まだ明らかになっていない効能が秘められている可能性は、高いと言えるでしょう。

まとめ

アフリカ東部のサバンナ地方を原産地とするゴマは、メソポタミア、インド、中国を経て、日本へ入ってきました。縄文時代の遺跡からゴマの種子が発見されたことから、縄文時代後期にはゴマの栽培が始まったとされています。

古代におけるゴマの用途の第一は燈油であり、飛鳥時代や平安時代の法律には、ゴマ油を国に納めることが義務付けられていました。ゴマ油はこの後、明治初期ぐらいまで燈油として用いられました。

ゴマは燈油以外にも唐菓子やゴマ豆腐といった料理にも使われ、ゴマの栽培が全国的に普及した江戸時代には、一般的な食材となりました。江戸時代まではゴマを国内で完全自給していましたが、明治以降は輸入の比率が増え、現在では消費量の99%以上を輸入に頼っている状態です。

ゴマは江戸時代の頃から健康に良い食品とみなされていたようで、様々な効能が記されています。その中にある、「肌のハリを良くする」、「脳血管障害の後遺症を改善する」といった効能はセサミンの持つ効能そのものですから、江戸時代の人たちもセサミンの恩恵にあずかっていたというわけです。

このように日本でも古くからゴマは愛好されてきましたが、ゴマの栄養学的解明は遅く、1985年のサントリーと京都大学の共同研究によって初めてセサミンは発見されました。セサミンは他の栄養素に比べて、発見から日が浅い栄養素ですから、まだまだ未知の効能が秘められている可能性が高いと言えます。

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